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東京高等裁判所 昭和55年(ツ)43号 判決 1983年1月28日

上告人 田中邦男 外一名

被上告人 水野清

主文

原判決を破棄する。

本件を千葉地方裁判所に差し戻す。

理由

上告人田中邦男の上告代理人土屋公献、同斎藤則之、同中垣裕、同小林克典の上告理由第二点及び第三点並びに上告人千葉商事株式会社の上告代理人磯村義利の上告理由第三について

原審は、本件土地について売買契約が存在した事実を推認させる資料として、次の判断を示している。すなわち、本件土地の登記簿(甲第二号証)甲区九番(朱抹されたもの、以下一〇番、一一番につき同じ。)には権利者を被上告人とし昭和三八年八月二日売買を原因とする同月二一日受付七七八四号所有権移転登記、甲区一〇番には柏石油株式会社を権利者とし同月二日売買を原因とする同月二一日受付七七八五号所有権移転登記、甲区一一番には三原不動産株式会社を権利者とし、同月二日売買を原因とする同月二一日受付七七八六号所有権移転登記がそれぞれ記入されたが、いずれも誤記削として抹消されていること、一八八四番、一八八五番の一、同番の二の登記簿には本件土地登記簿甲区一〇番、一一番と記載内容を同じくする所有権移転登記(但し、一八八四番については受付番号が異なる。)が記入されているが、誤記削されていないこと、本件土地登記簿甲区九番の被上告人を権利者とする所有権移転登記は、その申請が司法書士加藤明を代理人として被上告人及び上告人田中からされて昭和三八年八月二一日七七八四号として受付けられ、前記のようにいつたん登記簿に記入されたが、同日付で加藤明が、「即日補正不能」を理由として右申請につき取下書を提出したため、担当係官がこれを前記のとおり誤記削として抹消したものであること、以上の事実関係を認定し、更に、誤記削との記入がされている本件土地登記簿の前記三個の登記にはいずれも各欄の末尾に丸型の鈴木という印章が押捺されているところ、甲区九番の被上告人に対する所有権移転登記と同一〇番、一一番の他の二社に対する所有権移転登記とにおける押印の位置を対比すると、その位置は甲区九番にあつては末行の「右登記する」の文字に接しているのに対し、同一〇番、一一番にあつては「右登記する」との文字からかなりはなれた欄の左下隅であり、また、「誤記削」の文字の位置を対比すると、甲区九番にあつては末行で欄の左上隅から中程付近にかけて記載されている「右登記する」とほぼ平行にその左側にあるのに対し、同一〇番、一一番にあつては甲区九番とほぼ同位置の「右登記する」の文字の左下にあり、鈴木の印影に接していることがわかるとし、これに、一八八四番、一八八五番一及び同番の二の登記簿(乙第七号証、第一五号証の一、二)の登記欄のうち鈴木の押印のある欄をも参酌して、「被上告人に対する所有権移転登記を記入した甲区九番の末尾の押印は記入登記についての登記官の照会印(いわゆる校合)と解せられ(不動産登記簿五一条二項)、他方、同一〇番、一一番の末尾の押印は誤記削の押印であると解せられる。このことは本件土地の甲区九番の登記は登記官の審査を経たうえいつたんは所有権移転登記の記入が適法なものとして完了したことを知らしめるものである。これらの事実によれば、『即日補正不能』とは一体いかなる事由があつたのか、その具体的事実関係は本件全証拠によるも明らかにされないが、少なくとも、本件土地についての被上告人に対する所有権移転登記は、加藤明を代理人として、被上告人及び上告人田中より所定の書類を整えて共同申請がなされたものと認めるのが相当である。そうであれば、被上告人と上告人田中との間に本件土地の所有名義を変更することにつき合意が存したものとうかがうことができるのであり、このことは前記二に認定した本件土地についての売買契約の存在を推認させる有力な資料となるのである。」との判断を示している。

しかしながら、原審の確定した右事実関係によれば、本件土地の登記簿甲区九番の被上告人を権利者とする所有権移転登記は、司法書士加藤明を代理人としてされた申請がいつたんは受付けられたが、右加藤が同日付で即日補正不能を理由として右申請を取り下げたため、担当係官において、これを誤記削として抹消した、という経緯であるところ、当時施行されていた不動産登記事務取扱手続準則(昭和五二年九月三日民三第四四七三号法務省民事局長通達による改正前のもの)第五七条二項によれば、登記申請の取下は、登記完了後は、することができない旨定められており、他方、事項欄の登記は、事項欄に所要事項を記入し、校合をして誤りがないかを確認したうえ、登記官において認印を押捺した時に完了するのであるから、登記完了後における登記申請の有効な取下はありえないとともに、登記簿に記入後、その校合印押捺前に登記申請が取り下げられたときは、登記官は、本件のように「誤記削」又は「誤記により抹消」等の記載をして当該記入事項を朱抹すべきものとするのが、登記実務の取扱いとなつているのであり(昭和三八年一月一一日民事甲第一五号法務省民事局長回答)、原審における証人鈴木繁もまた、本件土地の登記簿甲区九番の欄の末尾に押捺されている鈴木の印影は校合印をして押捺したものではない旨、自分は誤記削を原因として抹消する場合には、交叉した朱線の中心部とその旨の文言の下部の双方に認印する流儀である旨供述しており、前示鈴木名義の印影は、右供述のとおり誤記削を示すものとして押捺されたことが窺われるのである。

してみると、右のような事情のもとにおいては、他に特別の事情が認められない限り、右甲区九番の登記もまた、登記完了前にその申請が取り下げられたものと認定すべき筋合であるにもかかわらず、原審が右甲区九番の末尾に押捺されている鈴木の印影と同一〇番、一一番にそれぞれ押捺されている鈴木の印影との位置、誤記削の文字の位置関係の相違を云々しただけで、他に特別の事情を明らかにしないまま甲区九番のそれは、登記が適法なものとして完了したのちに取り下げられたものであるとした判断は、不動産登記手続に関する法令の解釈適用を誤り、ひいて事実の認定を誤つたものといわなければならず、右のような誤つた前提のもとに、被上告人と上告人田中との間には本件土地の所有名義を変更することにつき合意の存したことを窺知できるとし、このことが本件土地の売買契約の存在を推認させる有力な資料となるとした原審の判断は、根拠に乏しいものといわざるをえないのである。

しかるところ、原審が、契約書その他被上告人主張の本件土地売買契約締結の事実を証する書面の存しない本件において、前記認定判断を本件売買契約の成立を認定する重要な間接事実としたことは、判文に徴し推測するに難くないところであり、したがつて、右事実は被上告人の主張と同旨を述べ、原審が被上告人の主張の認定資料とした証人ないし当事者本人の供述(書証として提出された別件調書を含む。)の信憑性を判断するについても重要な役割を果したものと推認できるところである。そうであるとすると、右認定判断の違法は、本件につき本件土地売買契約の成立を肯認し、被上告人の上告人らに対する請求を認容した原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるということができるから、論旨は理由があり、上告人らのその余の論旨につき判断を加えるまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、被上告人主張の売買契約の成否につきなお審理を要すると認められるので、これを原審に差し戻すこととする。

よつて、民事訴訟法第四〇七条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木潔 吉井直昭 河本誠之)

上告人田中邦男の上告代理人土屋公献、齋藤則之、同中垣裕、同小林克典の上告理由

本件は第一審では上告人側が勝訴したのに、第二審で、上告人側が逆転敗訴したという例外的な事案である。

本件要証テーマは、被上告人水野清、上告人田中邦男間に昭和三八年八月二日付売買契約の存否にある。第一、二審を通じ、右売買の成立を直接証明する書証は、なにひとつ法廷に顕出されていない。後に詳述するが、その間接証拠を発見することすら出来ない事案である。当事者双方及び各証人の相反する供述があるのみである。したがつて右対立する供述のいずれを採用し、いずれを排斥すべきかは、その供述内容のみならず関連証拠をあわせ検討し、慎重に吟味してその信憑力の有無を決すべきである。言うまでもなく心証とは、要証事実の存否についての裁判所の確信であり、本証、反証の有力度の比較ではない。原判決は後記の関係証拠から前記売買契約の存在を推定した。原判決が示す証拠資料からは、通常人の社会通念に照らし、到底右判断を導き出すことはできない。書証は、明快に法律関係を証する反面、その形式性故に真実が歪曲される場合もある。しかしながら昭和三八年当時で金額一、七五〇万円の大規模な不動産取引が行われる場合、これを証する文書を作成する利益ないし必要性は大きいと言わなければならない。しかるに原判決は何ら特段の事情や有力証拠もないのに売買の存在を積極に認定したものであるから後述のとおり経験則違背ないしは採証法則の適用を誤りひいては審理不尽の違法を犯したものと言うべくその誤りを正すべく当審において、すみやかにこれを破棄し、さらに相当の裁判をなされたい。

第一点

原判決には経験則違反ないしは採証法則の適用の誤り又は理由不備の違法がある。

1 原判決は、甲第二ないし第五(いずれも登記簿謄本)、第八号証(「証」と題する被上告人作成名義の書面)、第九号証の一、二(柏市長の照会回答書)、甲第一六号証(証人大田清の別件尋問調書)、第一七号証(被上告人本人の別件尋問調書)、証人大田清(第一、二回)、同阿部精一(第一、二回)の各証言及び原審(二審)における被上告人本人尋問の結果、弁論の全趣旨から(a) 請求原因三の(一)、(b) 同(二)(ただし、利息、損害金の割合は(一)、(二)ともに月五分)、(c) 同(三)、(d) 同(四)(ただし、実質上の貸主は被上告人)、(e) 同(五)(ただし、(ハ)の七〇〇万円は被上告人が適宣計上した昭和三八年八月二日までの利息、損害金)の各事実を認定している。

2 (書証の不存在)

本件では売買契約の存否が争点となつているところ冒頭で述べたとおり、これを直接証明する書証はなにひとつ被上告人から提出されていないのであるから、その存在を認定するには、所有権移転の合意のほか、代金の額を確定しなければ、到底、売買の認定をするに足る心証は形成されないものと信ずる。なんとなれば、経験則に照らし、かような場合、代金額の多寡、その決定の経緯、支払の方法などを吟味することにより、はじめて売買契約の輪郭が形づくられ、これにより売買の存否が判別されるからである。本件はその典型である。

上告人田中邦男は、高利金融業者被上告人から多数口の借入れをなしていた。被上告人の貸出レートにつき、原審はいかなる根拠に基くものか月五分と認定しているが、証人大田清の昭和五四年九月一四日期日における「月五、六分」との供述に照らせば、右認定は明らかに誤りである。上告人田中の供述する月六分ないし九分の方がはるかに真実に近い。

ところで昭和三八年八月二日、上告人田中は、同人に対する貸金業者等に対する債務返済のため同人所有物件を売却することとし柏石油株式会社二階において、関係業者(その代理人弁護士をふくむ)とその取極めをなしたのであるから、右機会に被上告人が上告人田中と本訴請求にかかる売買契約を締結したとすれば、複雑な消費貸借取引の経緯に照らし、(一)被上告人水野については、売買契約締結後登記申請までの間、上告人田中において売渡し意思を翻意するやも知れないところ、これに備え同人を拘束し(手付金の授受は本件の経緯からは考えにくい)、本件土地所有権取得の利益のため、(二)上告人田中においては、被上告人に対する債務弁済の証拠として、簡単な売買契約書あるいは覚書、念書、ただし書付き領収書もしくは登記義務者たる上告人田中の署名入り仮領収書、少なくとも双方いずれかのメモ書程度の文書は作成されなければおかしい。被上告人主張が真実ならば、文書作成は双方の利益になるのであるから、仮りに売買の当事者がこれに思い至らなければ、右契約の場所に居合わせた立会人の発意で、関係代理人弁護士に依頼し即時、その場でこれをなし得るものである。殊に上告人田中についてみるに、当時(昭和三八年八月二日)の一、七五〇万円は大ざつぱな比較を試みれば一七年後の現在の約一億円に相当する重大な不動産取引であるところ、その代金支払方法は、同人の被上告人に対するいくつかの貸金返還債務と同人の支払うべき代金債務とを対当額で相殺するという極めて複雑な方法であり、上告人田中のような素人が(他の重要な取引を行う場合で)、口頭の説明を受けたのみでこれを理解、実行し得るものとは通常考えられないこと及び従前、弁済に対する領収書すら作成交付しなかつた貸金業者被上告人に対する債務弁済の証拠として文書を作成する利益、必要性はまことに大きいものである。しかるに前記のとおり一片の文書すら作成されていないのは不可解というほかない。一方文書作成の点を、失念または、これをことさら省略した事情は証拠上全くうかがわれない。この一点を取り上げてみても本件売買の存在はまことに疑わしい。

しかるに原判決は前掲証拠をもつて、売買契約を認定した(判決一一、一二丁)。右証拠中(一)甲第二ないし第五、(二)第八号証(乙第六号証)、(三)第九号証の一、二のほかは、(四)すべて被上告人側の人証による供述である。

3 そこで(二)の甲第八号証(乙第六号証)について検討するに、本証の記載を素直に読めば

(1)  被上告人は上告人田中邦男に対し、昭和三六年七月一五日付で金一、二〇〇万円を貸付けたこと。

(2)  右貸付金の担保として被上告人は上告人田中邦男所有の一、八八四番の山林を売買名下に所有権移転を受けたこと。

(3)  被上告人は上告人田中邦男に右土地を一、〇〇〇万円を超える代金で売戻す約束をしていること。

(4)  上告人田中邦男は昭和三八年八月五日、被上告人に対し右売戻代金内金名下に前記(1) の貸金債務の返済として金一、〇〇〇万円を支払つたこと。

(5)  本証作成日の昭和三八年八月五日の時点でなお、被上告人の上告人田中邦男に対する請求原因三の(一)の債権(ただし、利息、損害金は月五分)の残金を有していたことの事実を経験則上認めなければならない。

次に原判決がその事実認定の基礎となつた証拠のひとつとして挙示する証人大田清の証言をみるに同人は、乙第六号証を代筆した者であるが、売戻代金は一、二〇〇万円で、同号証記載の右内入金一、〇〇〇万円を返済した時点で被上告人の上告人田中邦男に対する右貸付金一、二〇〇万円の残債権は二、三百万円はあつたと思う旨証言している(同証人の昭和五四年九月一四日付調書)。

しかるに原判決は、請求原因三の(五)の事実認定において本件土地売買契約が成立したとする昭和三八年八月二日被上告人の上告人田中邦男に対する一八八四番の山林の売戻債権は、上告人田中の被上告人に対する本件土地売買代金債権と相殺されて消滅したとし、同日付売買を原因とする所有権移転登記を被上告人に命じている。右原判決の事実認定は、甲第八号証(乙第六号証)の記載内容から通常認定すべき事実(前記(1) ないし(5) )を相反するものであるところその理由につきなんら説明しておらないのであるから判決に影響を及ぼす経験則違反、理由不備の違法があるというべきである。

4 次に甲第九号証の一、二についてみるに、原判決は請求原因三の(三)の認定で、上告人田中邦男が柏市に金一五〇万円の税金を滞納したため、同市が同人所有の一、八八四番の山林につき金一五〇万円で差押えなしたこと、被上告人が右滞納税一五〇万円を立替払いし、差押解除を得、上告人田中邦男に同額の立替金債権を取得した旨の事実を認定している。

しかし上告人田中邦男の滞納税は元金でも二六三万一五六〇円であるから、柏市が差押債権につき一五〇万円限定して差押することは一般には理解し難いこと、更には被上告人が供述するように、他に特段の事情もなくほぼ半額の一五〇万円に「まける」ことは通常考えられない。しかるに原判決は右立替金債権一五〇万円を基礎として一八八四番の土地の売戻し代金一、三五〇万円を認定し、これを前提に本件土地が被上告人、上告人田中邦男間で代金一、七五〇万円で売買されたとし、前記3同様上告人田中邦男に所有権移転登記を命じているのであるから、右売買の認定は、経験則に違反し、理由不備というべく破棄は免れないものと信ずる。

5 右のとおり前記3、4記載の書証は本件土地売買契約を認定する証拠たり得ないばかりか、却つてその記載内容は、原判示の成立を否定する反対証拠というべきである。そこで原判決採用の前掲二証人及び被上告人本人の各供述についてみるに前記2のとおり本件土地売買存在を裏付ける極く簡単なメモすら提出されていないにも拘らず右三名の供述からその心証をとつたものと思われる。しかしながら本件の争点たる売買契約の存在(日時、代金及びその取極め経緯)については何ひとつ明確な供述はうかがわれない。本来許されない争点についての誘導尋問により辛じて「そうだと思う」「そうです」と言つた式の所謂おおむ返しの供述が目に余る(特に被上告人本人の供述は、到底その内容に要証事実を認め得る証明力は、うかがわれない)。

被上告人本人の訴訟態度(甲第二六号証の作成に見られるとおり主張に沿つて証拠を創り出す鉄面皮な性格)から判断しても同人及び前記二証人の供述の信用性は極めて乏しいものと言わなければならない。

6 ここで乙第二五号証の一、二(被上告人の名刺にして、裏面に前掲証人阿部精一を代理人と定め「田中邦男の物件に対する抵当権設定その他の件」を委任した委任状)の存在について検討する。

本書証の作成日は、被上告人の主張によれば、本件土地売買に基く登記申請が不能となり上告人田中に対しその移転登記手続を求めていた時期(昭和三八年一〇月二八日)である。そして前記「田中邦男の物件」とは証人阿部精一(昭和四八年一月一七日調書一七丁)によれば「問題の物件のことと思います」であり、被上告人本人(昭和四八年九月一九日調書一六丁)も「これはその土地ですね」と供述し本件土地であることを明らかにしている。

売買契約が成立し、その移転登記を求めている当の目的物件につき、抵当権設定を要求しているものであり、前者が真実であれば後者は不要である。しかるに後者の要求が存在する。これはまさに被上告人自ら本件土地売買契約が存在しないことを表明したものである。しかるに原判決は、本件土地売買の認定の妨げとなる一級の反対証拠たる本書証を排斥し、これにつきなんら合理的な説明をしていない。その誤りは、原判決が経験則に違反し、ないしは採証法則の適用を誤つたため招いたもので、原判決主文に直接影響を及ぼすことは明らかである。

7 次に原判決挙示の「弁論の全趣旨」をみるに、被上告人は、要証事実につき、証明力ある書証をなんら提出し得ずその主張に沿う供述は争点についての誘導尋問によるものであることに鑑みれば本件売買の成立を否定する材料というほかなく到底、原判決認定の積極資料たり得ないものと信ずる。そうすると本件は、立証責任分配に従い、被上告人敗訴の判決を言渡さなければならない筈である。

そこで残るは原判決の事実認定を支える唯一の資料たる本件土地登記簿甲区九番の「誤記削」の点について、次に検討することとする。

第二点

原判決には、経験則違反ないしは採証法則の適用を誤り又は理由不備の違法がある(校合印認定論)。

1 原判決における本件売買の事実認定の論理構造を見るに前記のとおり被上告人水野清の上告人田中邦男に対する貸金債権の存在を認定し(原判決一一、一二丁)、次いで甲第二号証の一、二(いずれも不動産登記簿謄本)、甲第六号証の一一(取下書)及び証人鈴木繁の証言から本件土地登記簿甲区九番の「末尾の押印は記入登記についての登記官の照合印(いわゆる校合)と解せられ(不動産登記法五一条二項)、このことは、本件土地の甲区九番の登記は登記官の審査を経たうえ、一旦は所有権移転登記の記入が適法なものと完了したことを知らしめるものである」旨認定し、そこから一気に被上告人、上告人田中邦男より右登記手続の「共同申請」がなされたことすなわち右両名間で本件土地の所有名義変更の合意を推定し、本件土地売買契約の存在を推認している。

原判決を素直に読めば、原審判断を支える核心点は右甲区九番に顕出された登記官鈴木繁の丸印の印影鈴木が校合印であるとの認定にあることは明白である。そこで、原判決の右認定に至る心証形成過程を検討する。

2 原判決は、

(一) 本件土地登記簿甲区九番には権利者を被上告人とし昭和三八年八月二日売買を原因とする同月二一日受付第七七八四号所有権移転登記、甲区一〇番には柏石油株式会社を権利者とし同月二日売買を原因とする同月二一日受付第七七八五号所有権移転登記、甲区一一番には三原不動産を権利者とし同月二日売買を原因とする同月二一日受付第七七八六号所有権移転登記がそれぞれ記入されたが、いずれも誤記削として抹消されていること。

(二) 一八八四番(乙第七号証)、一八八五番の一(乙第一五号証の一)、同番の二(乙第一五号証の二)の登記簿には本件土地登記簿甲区一〇番、同一一番と内容を同じとする所有権移転登記がなされているが誤記削されていないこと。

(三) 前記(一)の甲区九番の所有権移転登記の申請は、被上告人田中邦男から司法書士加藤明としてなされ、前記(一)記載のとおり受付けられ、一旦登記簿に記入されたものの、同日付で右加藤が「即日補正不能」を理由に右登記申請を全部取下げたので、担当係官はこれを誤記削として抹消したこと。

(四) 右誤記削とされた三個の登記には、いずれも各事項欄には鈴木という丸印が押捺されているが、

(イ) 甲区九番の押印の位置は末行の「右登記する」の文字に接していたのに対して、一〇番、一一番にあつては、「右登記する」の文字からはなれて、欄の左下隅にあること。

(ロ) 「誤記削」の文字の位置については、甲区九番では、末行で欄の左上隅から中程付近にかけて記載されている「右登記する」とほぼ平行にその左側にあるのに対し、一〇番、一一番にあつては「右登記する」の文字は甲区九番とほぼ同じ位置にあるが誤記削の文字は甲区九番と異なり「右登記する」の文字の左下にあり(欄全体からみれば左下欄)の押印に接していること。

(ハ) 更に前記(二)の登記欄のうち鈴木の押印のある欄を参酌する。

(五) そうすると甲区九番の末尾の鈴木の押印は校合印と認められる。

原判決の指摘する前記(一)ないし(三)の事実は争いがない、しかし右(イ)(ロ)に見られる押印及び誤記削の位置関係の相異点から原判決の結論に到達することは到底できない。

3 原判決の右認定の論拠は、

(一) 誤記削の押印であれば、「右登記する」の文字に接することはなく、右文字を離れたところにある筈であること、「誤記削」の文字は「右登記する」の文字から離れ、全体として欄左下隅にあり、その押印は「誤記削」の文字に接近していなければならない、要するに登記係官の押印がいずれの文字に接近しているかどうかであるところ甲区九番の押印は「右登記する」の文字に接しているから校合印であるというにあると推測される。

(二) いまひとつの理由は恐らく前掲鈴木証人の証言中、甲区九番と一〇番と比較しての意見を求められた際一〇番の押印が、「……もし登記の確認の印ということになればここへ押さなければならないんです」と答えるや裁判長が介入尋問し「ここへ押さなくてはというここというのはどこですか」と質問したのに対し同証人が「右登記するのすぐ下です。……」と答えた証言の片言隻語(同証人調書六丁)をとらえてのことであろう。

(三) そこで右二点について証拠を検討するに(一)の論法で校合印は右登記するとの文字に接しているべきであるとするならば、本件土地甲区八番、一八八五番の一の甲区一四番の押印はいつたい何の押印であるのか説明できない。誤記削の文字の位置であれ、校合の印それであり、余白のある場合はそれに接近して記載ないしは押印するのであり甲区一〇、一一番のようにほとんど改行する余裕の場合は「右登記する」文言が欄左上部中ほどで終つていることから生じている左下部分に一行半強の余白を利用しているまでのことである。誤記削の文字を欄内のいずれの箇所に記入するかは、なんら法定されておらず、他の文字と接近させるとすれば、「誤記削」文字下の押印が削除印と誤認されるのを防止するため、可能な限り余白を利用しているのが実務である。

次に前記鈴木証言であるが、右は甲区九番から一転して、同一〇番にのみ着目させられ校合印は「右登記する」のすぐ下に押印するとの押印一般論を述べたもので、右証言は、意表をつき、甲区九番との関連を遮断して誤導尋問したきらいがある発問にひきづられたもので証言全体のコンテクストからはずれており、ことさらこの点にのみ証拠価値を認めることは到底できないものである。同証人は右問答の後にも甲区九番の押印は一〇番、一一番と同じ誤記削の押印であることを明確に証言している(同証人調書八丁)。のみならず同証人は、右押印が校合印ではなくいずれも誤記削の押印であることを終始一貫させており、抹消についての同証人の手法である「二つ押」を説明し、供述の誤りなき点を裏付けていることである。よつて同証人の証言からも甲区九番の押印が校合印であるとの心証は得ることは出来ない筋合である。

(四) そして、原判決の論法をもつてすれば甲区九番の押印は校合印であるとするならば、前記証人鈴木の証言する「二つ押」の手法に照らしてみると甲区九番は誤記削による抹消につき、同人は誤記削の押印をしていないとの矛盾が生じる。のみならず、右の論理が災いし、いつたん「適法なものして完了した」登記が「即日補正不能」となりかつ、それにもかかわらず「取下」げられたという登記実務上絶対に起り得ない現象について説明不能となり原判決は、「一体いかなる事由があつたのか……明らかとされない……」と収拾のつかない混乱に陥つてしまつている。

原判決は右のとおり経験則に違反し心証形成に供してはならない「資料」をもとに前記認定をなした違法がある。

(なお何故に本件土地甲区九番ないし一一番のような「誤記削」の結果を招いたかについてみるに、昭和三八年八月二一日、司法書士加藤は本件当事者の依頼を受け、本件土地につき右三件を除き四件、一八八四番の土地につき二件、一八八五番一の土地につき六件、同番二の土地につき五件、東中新宿三丁目一三五番一八の土地(乙第三五号証)につき三件合計二三件の登記申請をなしており、上告人田中の印鑑証明、委任状は予備をふくめ多数通が同司法書士に交付されたと思われる。同司法書士は、右多数の登記申請を受け、依頼の趣旨を取り違え、依頼を受けず、したがつて権利証の交付も受けていない本件土地につき、依頼されたものと錯覚し、予備の右印鑑証明及び委任状を利用して登記申請をしたところ登記所職員も権利証不存在を見落し、記入を行つたものと考えられる。このように推測しても通常ありえないことはない前掲証人鈴木繁の証言でも認められるところである。司法書士が受領した権利証を紛失することは考えられないし、いつたん登記申請した後権利証を盗取することは実際上不可能であるから、前記推測のほか考えられることは、被上告人において、本件土地権利証は右登記申請に必要のものと誤信し、右の機会に乗じて上告人田中邦男から本件土地を不法に入手せんと試みたところ権利証不存在のため本件登記が奏功しなかつたが、同登記簿に誤記削印が押印されていることを奇貨として本訴請求に及んだものとしても少しもおかしくないところである。同人の平然と嘘をついてはばからない高利金融業者特有の鉄面皮な性格は甲第二六号が雄弁に物語つている。)

第三点

第二原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背がある。

ここで前記3の(四)で述べた不動産登記実務ひいては関係法令上原判決の事実認定の適法性を検討するに不動産登記申請はいつたん受理されると受付番号を付せられ、担当係官の書類審査に廻される。こののち登記簿に記入され、最後に登記官の審査を経、誤りなき場合校合印(照合印)が押印されて登記手続は完了する。右登記完了までに申請不備が発見された場合、即日補正が可能でかつその補正がなされたときは登記は有効になされるが、即日補正が不能の場合、申請者(もしくは申請代理人)は申請を取下げるか、申請を維持しそのため不動産登記法四九条各号いずれかにより申請却下されるか、いずれかの選択を迫られる。登記簿に記入した後でも取下げは出来る。けれどもいつたん校合印を押印をした後には取下げは出来ない(不動産登記事務取扱手続準則第五七条第二項、(現行準則第六九条第二項)不動産登記法第五一条第二項、なお昭和三八年一月一一日法務省民事甲第一五号法務省民事局長回答。法曹会「不動産登記実務」(三訂)二五〇頁及び三五八頁以下。吉野衛「判例からみた不動産登記の諸問題」三一頁以下)。

しかるに原判決は右法律の解釈を誤りそのため、本件土地登記簿甲区九番につきいつたん適法に所有権移転登記が完了したことすなわち校合印押印後、本件土地についての登記申請が取下げられた旨虚構の事実を認定する誤りを犯すに至つたものである。

本件土地登記薄甲区九番の末尾の押印が照合印(校合印)であるとの認定を前提としてかつそれを唯一の推認資料として本件土地売買契約の存在を認めた原判決の誤りは、歴然としている。すなわち原判決は不動産登記法第五一条第二項の解釈を誤り、証拠によらずして虚無の事実を認定したものでありこれにより、主文第二、三項において、上告人田中邦男に対し、所有権移転登記、同千葉商事株式会社に所有権移転登記の抹消登記をそれぞれ命じているのであるから右法令違背は判決主文に直接影響を及ぼすことが明らかであるから断然ここに排斥されなければならないと確信する。

第四点

原判決には、理由齟齬(ないしは理由不備)の違法がある。

1 売買契約に基き、目的物件の引渡し又は所有権移転登記を請求する場合、売買の合意及び代金支払約束の二つを主張すれば足りるという見解が有力であるが、双務契約として、所有権移転の約束と本来、対価的関係にある代金の額は、売買の二大要素として具体的に主張、立証されなければならない。これが売買の要件事実である。

売買の合意だけで足りるという見解は、親族間、知人間等売主、買主間に一定の人的関係が存する場合か、当該目的物が極くありふれた物品にして低廉の場分に限られる。このような場合における売買とは、その本質は無償の財産権移転行為に対応する金銭の贈与行為で構成されておりもはや売買の名に値いしない。

一方通常の取引においては、契約時では一見、代金額特定されていないようであるけれども、将来の一定の時期の評価基準を明示するなど(例えば○○地点の昭和○○年度公示価格○○%増あるいは昭和○○年○○月○日における東証取引相場終値)、必ず特定し得るものである。

本件当事者のように相互に人的関係が存在せず、目的物は不動産である場合、売買代金額の特定を欠く売買契約は取引通念上からも存在し得ない。被上告人は上告人田中邦男に対する貸金債権の清算のため本件売買契約を締結したと主張しているが、本件土地の利用もしくは事後処分の計画をなんら明らかにしていないところから見ると被上告人は自らこれを使用するためではなく転売もしくは宅地開発して分譲処分のためであり、要するに本件土地の交換価値に着目してこれを取得することになる。そうすると被上告人のおかれた立場にたつとしても売買は、本件土地の評価すなわち代金額いかんにかかることとなることはみやすい道理である。

仮りに前記有力説に与そうとも、健全な社会通念上、本件の如く、売買契約の存否が問われている場合、その判定には当該物件の代金額、支払方法等を慎重に吟味しないかぎり、到底、その存在を確信するに足る心証はとれないものと信ずる。

前記のとおり、被上告人は、本件売買代金は一、七五〇万円と定められたと称するが、口頭弁論終結時(昭和五四年一一月二二日)の金銭価値に換算すれば約一億円にも相当する大型の取引であることに鑑みれば代金額を特定し得ない取引なるものは観念の世界に属するものと言わなければならない(この点に関する原判決の経験則違反については上告理由第一点で述べたとおりであるから再言しない)。

2 そこで原判決の理由三の(三)について検討する。

原判決は売買代金額の点につき(判決二〇丁裏から二一丁裏)

(一) 「本件土地代金に関する請求原因三の(五)の(ハ)の七〇〇万円の控訴人の主張は当審の最終段階において金額のつじつまを合わせるためになしたものとしか解し得ない……確たる計算上の根拠もなく控訴人が被控訴人田中に対して有する債権の利息又は遅延損害金として七〇〇万円を計上して売買代金を算出したとみるほかない」旨売買代金は、結局いくらであつたか認定できないことを認めている。しかるに

(二) 「本件の売買の実質は代物弁済であるから」売買代金の特定は必要がない旨被上告人の立証の不備を救済して、弁明及び、

(三) 「土地価格が元本と利息制限法の範囲内で算出された利息……の合計額が上廻われば、その分を被控訴人田中の請求により控訴人において返還すれば足る」から要するに代金の額いかんにかかわらず本件売買は認められると判示する。

3 しかしながら右原審理由は明白な誤りがある。

(一) まず原判決は、理由二において、請求原因三の(五)の事実を認定しているが右によれば上告人田中邦男は昭和三八年八月二日、本件土地を代金一、七五〇万円で被上告人に売渡し、その代金支払は、同人に対する上告人田中邦男の貸金の利息損害金として被上告人が任意計算した金七〇〇万円及び一、三五〇万円の債権合計二、七五〇万円より弁済を受ける予定となつた一、〇〇〇万円を控除した残債権金一、七五〇万円と相殺したというのであるから、被上告人の上告人田中邦男に対する債権は、右相殺により消滅したこととなる。そうすると前記2の(三)の如く、清算の問題は、生ずる余地はない。原判決前記事実認定からすれば、右原審理由は明らかに誤謬である。

(二) 次に「売買の実質は代物弁済」論について検討する。

(1)  原判決は証拠上売買代金を確定し得ないことから前述した有力説(売買に基く移転登記請求につき、代金額の主張は要しない)を隠れ蓑にして売買を認定しているが、仮りに原判示のとおりとすれば当事者間の合意は代物弁済で登記申請上の便宜として登記原因を売買としたとの事実が証拠上認定されなければならないところかかる証拠は全くうかがわれない。被上告人の主張によれば代金一、七五〇万円と定めた土地売買契約であつて終始一貫している(原審はいかなる理由か、被上告人の確定的な事実主張のまとめである同人の昭和五四年九月一四日付準備書面第一項(「代物弁済によつてその所有権を取得したものではない」)につき、これを撤回させているが、被上告人の主張の核心であるから訴訟指揮の点からも到底、看過し得ない)。当事者の右主張の内容のほか次の点も考慮されねばならない。

(2)  本件につき、代物弁済と売買とを比較してみると確かに有償で所有権移転を行う点では両者同義である。けれども代物弁済は、上告人田中邦男の被上告人に対する他の債務の弁済に代えて、異なる給付である本件土地所有権移転をなすことであるから、これにより消滅すべき債務は、口数、金額等をふくめ明示、特定されなければならない。これに反し、異なる給付である本件土地の評価はさほど重要ではない(重要なのは債務債権の消滅の点である)。ところが売買においては一定の価額で土地所有権を移転するのであるから目的物の評価すなわち代金額が法律行為の重要な要素となる。

翻えつて考えるに、被上告人は本来の意味、典型契約としての売買の主張をなしており、かつ当事者双方の合理的意思として、後に履行の問題を残す代物弁済を合意する状況にはなかつたことはいずれも証拠上明白である(したがつて、上告人田中邦男は、昭和五四年九月一四日弁論期日において、清算の主張は、これをなす心算はないと答弁したものである)。

(3)  次に本件の争いの対象(請求)は売買の存否であり、代物弁済の有無ではない。両者は前記実質的異同のみならず全く別個の法律関係(訴訟物)である。しかるに原判決は、実質は代物弁済であるが、契約(の形式)は売買あると認定し、右実質論により主文第二項で上告人田中邦男に所有権移転登記を命じているが前記(1) に述べたように当事者のこの点に関する特別の主張も立証もされておらない。

原判決は、一個の訴訟物につき、請求されざる別異の請求権(実体的法律関係)を認定する一方、主文において、右認定の法律関係と異なる原因で登記手続を命じているものでその内容は相矛盾している。

よつて、この点において、原判決は、理由齟齬(ないしは理由不備)の違法があるから、破棄さるべきであると信ずる。

上告人千葉商事株式会社の上告代理人磯村義利の上告理由

第一、事実認定と経験則違反理由不備および虚無の証拠

当事者間に争ある事実につき、裁判所が事実を認定することは、裁判所がその事実につき証明あつたと判断することである。即ち裁判官が、証拠の価値を自由に(自由心証主義)判断し、その主観において、健全なる通常人ならば誰でも疑(合理的な疑)を挟まない程度に真実らしいとの確信を得たことを意味する。

しかし裁判官が右の認定事実によつて裁判することが許されるのは、右のような主観的確信が存在するということだけでは足りないのであつて、右の判断が、客観的に見て、即ち健全なる通常人から見て、あり得べき判断でなければならず、健全なる通常人から見て合理的な疑が全部払拭されたと見ることが客観的に可能な場合でなければならない。この客観性を具備しない判断による判決が或は経験則違反或は理由不備のものとして上告審において破毀せられるべきことは判例学説の一致するところである。

尚従つて経験則違反には判決が有力な証拠を顧慮しないことを含むのである。有力な証拠を顧慮しないことが違法であることは菊井、村松、民事訴訟法(法律学体系コンメンタール)一巻五九六-七頁が

「裁判所は判決書で事実認定を説明するに際し一応経験則に反するような証拠の取捨をする際には説明する必要があり、これをしないと上告理由となる。例えば消費賃借が争われたときに、成立に争のない借用証書が提出されているのに、消費賃借を認めない場合には理由を説明する必要がある」という通りである。

本件上告理由は左記第二乃至第五の通りであるが、原審判決は、まず、第二、第三に述べる如く、経験則違反理由不備或は虚無の証拠による事実認定に基づきなされたものであるから、破毀せられるべきものである。

第二原判決理由二の事実認定について

一 原審判決は、その理由二(一一丁以下)において

(1)  甲第二ないし第五号証

(2)  甲第八号証

(3)  甲第九号証の一、二

(4)  乙第六号証

(5)  甲第一六第一七号証

(6)  証人大田清の証言(原審および当審)

(7)  証人阿部精一の証言(当審、第一、二回)

(8)  控訴本人の供述(原審および当審)

(9)  弁論の全趣旨

以上(1) 乃至(9) を綜合して

(A) 請求原因三の(一)(但し利息および損害金は月五分の約定)

(B) 同(二)(同)

(C) 同(三)

(D) 同(四)(但し<1>の実質上の債権者は控訴人)

(E) 同(五)(但し七〇〇万円は控訴人が適宜計上した利息および損害金)

の各事実を認定した。

二 右(A) (B) の事実は括弧内の事実を除き当事者間に争のないものであるから左程の問題はない。

本件は複雑な訴訟であつて、右(C) (D) (E) の存否が主要の争点である。以下原審の掲記する前記一の(1) ないし(9) の各証拠につき順次検討する。

三 (1) の甲第二ないし第五号証について

右各甲号証は土地登記簿謄本であり、殆んど争のない(A) (B) の事実に関するものであるから、ここでは、左程の問題はない。

四 (2) の甲第八号証と(4) の乙第六号証(証と題する書面)について

右二個の書証は対照により甲第八号証はコピーで、その原本に印紙を貼りその消印と作成名義人の名下に押印したものが乙第六号証であると認められる。この書証の記載内容によれば

(イ) 控訴人が一八八四番の土地を被控訴人田中に売戻し、同人より支払を受くべき代金中一、〇〇〇万円を前記(A) (請求原因三の(一))の金一、二〇〇万円の土地売戻債権の内入としたこと

(ロ) その日が同号証の日付たる昭和三八年八月五日であること

を経験則上認定すべきであり、従つて

(ハ) 昭和三八年八月五日には控訴人の被控訴人田中に対する(A) の債権は残額があつたこと

を認めるべきである。原判決が前記(6) の如く援用した大田清(乙第六号証を書いた者)も、原審で(昭和五四、九、一四調書三丁)売戻代金が一、二〇〇万円であり、同号証記載の内入後残債権二〇〇万円があつたと証言している。

然るに原審判決は、前記(E) (請求原因三の(五)の認定)において、既に昭和三八年八月二日控訴人の右一八八四番の土地の売戻代金債権は本件二〇四二番の土地売買代金の決済に充てられて消滅したと認定し、主文第二項において同日の売買による所有権移転登記を命じているのであるから、この認定は甲第八号証乙第六号証から経験則上生ずべき結論たる右(イ)、(ロ)、(ハ)と抵触する。原判決は、このような甲第八号証、乙第六号証を採用しながら、この抵触点につき何等特別の事由説明をしないのであるから主文に影響を及ぼす理由不備経験法則違反のものである。

五 (3) の甲第九号証の一、二について

原審判決は前記(C) (請求原因三の(三)の認定)の如く、被控訴人田中が柏市に対し税金一五〇万円を滞納したため、同市が昭和三七年四月二〇日同人所有の一八八四番の山林を差押えたこと、および控訴人がこの税金を立替払し差押の解除を得たため被控訴人田中に対し金一五〇万円の立替金債権を有するに至つたと認定している。

しかし、原審の採用する右甲第九号証の一、二によれば、被控訴人田中の滞納税金は市県民税で金二六三万一五六〇円であり他に督促手数料延滞税もあつたことが明白であるから、右原審の認定と税額において大きく差異がある。又このように延滞税元本が二六三万円以上であるから柏市が一五〇万円につき差押をする筈はない。従つて原審の差押税金一五〇万円の立替による控訴人の立替金債権一五〇万円の認定は、自己の採用した甲第九号証の一、二の趣旨に反するものであるから、その点の説明を欠く以上、経験則違反或は理由不備のものである。

控訴人本人は原審(昭和四八、九、一九-調書四丁)において「差押は三〇〇万円であつたが自分が市役所と交渉し半分にまけて貰つた」旨陳述しているが、市役所が決定し差押までしたものを半分に減額し差押を解くというようなことは、経験則上通常あり得べからざることであり少くとも稀有のことであろうから、控訴人のこの陳述だけで税金が減額されたとの設定をしても、この認定も理由不備経験則違反の認定と云わなければならない。しかし、原審はこの減額を認定しているわけでなく、差押が一五〇万円につきなされ被上告人がこれを立替払したと認定しているのであるから、尚更理由不備経験則違反の認定と云わなければならない。

そしてこの立替金債権一五〇万円を基礎として、原審は、請求原因三の(四)の一八八四番の土地の代金一、三五〇万円での被控訴人田中より控訴人への売却、および請求原因三の(五)の控訴人より被控訴人田中への右土地の同額代金による(この金額について、控訴人側の証人大田清が、原審-昭和五四、九、一四調書三丁-で金一、二〇〇万円と証言しているのに、原審は、この有力証言につき説明せずしてこれと矛盾する認定をしており、この認定は違法である)売戻を認定し、更にこの金額を基礎として本件二〇四二番土地が代金一、七五〇万円で被控訴人田中より控訴人に売却されたとし、これにより主文第二項の所有権移転登記を命ずる裁判をなしたのであるから、立替金債権の認定は原判決主文に影響を及ぼす重要なものである。

売買代金の額は問題でなく、売買されたことだけの認定で所有権移転登記を命ずるに足り、原審はとにかく売買を認定したのであるから移転登記の裁判をなすのは違法でないとの論があるかも知れないが、売買において代金とその対価たる所有権とは二大要素であり、本件において代金額決定の経緯が主要の争点として審理されたのである。このような事件においては代金額決定の経緯により果して売買があつたかの点につき心証を生ずるのが経験則である。従つて原審の代金額認定の基礎となつた立証が右の如く適法になされていない以上、原審の売買の認定は経験則に反するものであり、理由不備の裁判として、原判決は、破毀せられるべきである。

六 (5) の甲第一六号証 証人大田清の調書

甲第一七号証 本人水野清の調書

(6) の証人大田清の証言(原審および当審)

(7) の証人阿部精一の証言(第一、二回)

(8) の控訴本人の供述(原審および当審)

について

以上四、五において述べた如く、原審の引用する前記(1) 乃至(4) の書証は、本件の争点たる(C) (D) (E) (請求原因三の(三)(四)(五))の事実の証明には役立たないのみでなく、(2) (3) (4) の書証はその客観的な実質証明力において原審認定の妨げとなるものである(しかもこの妨げとなる点につき原判決が理由不備であることは前に述べた)。従つて原審判決は主として右(5) 乃至(8) の証言或は陳述によつて(C) (D) (E) の争点事実を認定したものと思われる。

本件争点の内容は、多くの土地につき、控訴人、被控訴人間その他の人の多くの金銭取引、担保関係が絡んで複雑であり、日時、当事者、物件、金額が多岐にわたり、到底一般人が何等の書類にもよらずして正確に記憶し得るような内容でないことは争点自体からして明白である。そしてこのような事件においては、争点につき多数の書証が提出されるのが例であるのに、本件では全くその提出がなく、稀有の事件である。然るに原審判決は右(5) 乃至(8) の証言或は陳述のみにより、これら複雑多岐の認定をしたのであつて、常識的に無理であり、この点が、法律的には経験則違反理由不備となるのである。しかも、(5) 乃至(8) の証言或は陳述は、その調書を見るに、物件や金額、日時、取引内容等具体的な事項はすべて「何々でないか」「何々であろう」等の誘導尋問により、「そうです」「そう思います」「そう記憶しています」等となつており、書証に基づかないこれらの供述は経験則上実質的証明力を認めるべきでないのである。又、原審が主文第二項において「八月二日の売買」と云つている日時については原判決の挙げる(1) 乃至(9) の全証拠を精査するもその証拠がない。只一つ疑問があるのは甲第二号証甲区九番の削除された登記の登記原因として「八月二日売買」との記載がある点であるが、登記原因の記載内容に証明力推定力のないことは判例学説の認めるところであるから、これによる認定は違法であり、結局虚無の証拠による認定であつて、この違法は直接主文に影響する重大なものである。そして又日時或は他と区別し特定し得べき時点を確定しない売買はたとい認定しても具体的な法律関係と云えない。

右(5) 乃至(8) の証言供述は「代金一、七五〇万円の売買があつた」ことを抽象的に繰返し述べており、原審裁判所は、これにより、かかる売買あることの心証を得たものであろうが、この金一、七五〇万円の金額および取引日が八月二日なることを認めしむべき書証は皆無であり、上告人をして云わしむれば、これは裁判官の直感的主観である。上告人は直感を無価値と許するものではなく直感は大切である。しかし、現代法では、直感は、論理的客観的に裏付けられたものでなければ、これにより裁判することを許されない(兼子、民訴法大系二五四頁)ことを言いたいのである。

七 (9) の「弁論の全趣旨」について

原審の云う「弁論の全趣旨」の内容は必しも明かでない。しかし上告人の立場からすれば(C) (D) (E) の争点判断について却つて逆に

(イ) 控訴人が立証に役立つ書証を提出しないこと

(ロ) (5) 乃至(8) の証言陳述につき誘導尋問とその答の多いこと

これらは弁論の全趣旨として(C) (D) (E) の争点事実認定の重要な否定材料となるものと信ずる。

控訴人は金融業者不動産売買業者であり(原審の採用した阿部精一昭和四八、一、一七証言、調書二丁)、その取引は多数であつたであろうから、経験則上、金融貸借、抵当権設定、土地売買(殊に本件土地等)等の重要事項については証書を作成したであろうし、又少くもこれらに関する記帳やメモのない筈はないのである。控訴人としては、これらの書証を提出し、これに基づいて証言や陳述をなさしめて始めて客観的裏付を伴つた証言や陳述と云い得るであろう。裁判官が本件のような事件で、もし証言陳述により複雑な具体的事実につき心証を得たと感じても、心にはやることなく、釈明権を行使して、控訴人に対し関連書類の提出を促し(民訴一二七条)これに対する控訴人の反応を考慮して右の直感の客観性の有無を確かめるべきである。裁判官がこれらの措置をなさず、客観性のある材料のないまま事実認定をなすことは法令違背であり、理由不備経験則違反のものである。このような場合裁判官は立証不足として立証責任により裁判をなすべきであつて、心証を得たとの主観によつて裁判することは違法である。

以上述べたことは、法律を知らない世人より見れば、立証責任者に、或は要求し過ぎると思われるかも知れないが、訴訟法上は(C) (D) (E) につき控訴人に立証責任がある以上当然のことである。

第三原判決理由三の(二)について

一 原判決の判断

原判決はその理由三の(二)(一八丁以下)において

(1)  本件土地(二〇四二番)登記簿に、昭和三八年八月二日売買を原因とする同月二一日受付の権利者を控訴人とする所有権移転登記がなされたこと

(2)  本件土地登記簿(但し右(1) の登記の次に)および一八八四番、一八八五番の一、一八八五番の二の四個の登記簿に、いずれも昭和三八年八月二日売買を原因とする同月二一日受付の順次権利者を

柏石油株式会社

三原不動産株式会社

とする所有権取得登記がなされたこと

本件土地(二〇四二番)の右三個の所有権移転登記はいずれも「誤記削」として抹消せられていること

(3)  本件土地登記簿甲区九番の控訴人を権利者とする所有権移転登記は、その申請が司法書士加藤明を代理人として控訴人及び被控訴人田中からなされ、昭和三八年八月二一日七七八四号として受付けられ、前記のように一旦登記簿に記入されたが、同日付で加藤明が「即日補正不能」を理由として右申請につき取下書を提出したため、担当係官はこれを前記のとおり誤記削として抹消したこと

(4)  本件土地の登記簿である甲第二号証(乙第一五号証の三)の前記誤記削とされた三個の登記をみると、いずれも各欄の末尾に丸型の鈴木という印鑑が押捺されているが、甲区九番の控訴人に対する所有権移転登記と同一〇番一一番の他の二社に対する所有権移転登記とにおける押印の位置を対比すると、その位置は、甲区九番にあつては、末行の「右登記する」の文字に接しているのに対し、同一〇番、一一番にあつては、「右登記する」との文字からかなりはなれた欄の左下隅であり、また「誤記削」の文字の位置を対比すると、甲区九番にあつては、末行で欄の左上隅から中程付近にかけて記載されている「右登記する」とほぼ平行にその左側にあるのに対し、同一〇番、一一番にあつては、甲区九番とほぼ同位置の「右登記する」の文字の左下にあり(欄全体から見れば左下欄)、押印に接していることがわかる。

(5)  一八八四番、一八八五番の一及び二の登記簿である乙第七号証、第一五号証の一、二の登記欄のうち鈴木の押印のある欄を参酌。

以上(1) 乃至(5) により

(A)  控訴人に対する所有権移転登記を記入した甲区九番の末尾の押印は、記入登記についての登記官の照合印(いわゆる校合)と解せられ(不動産登記法五一条二項)、他方、同一〇番、一一番の末尾の押印は、誤記削の押印であると解せられる。

(B)  右(A) のことは、本件土地の甲区九番の登記は、登記官の審査を経たうえ、一旦は所有権移転登記の記入が適法なものとして完了したことを知らしめるものである。

(C)  これらの事実によれば、「即日補正不能」とは一体いかなる事由があつたのか、その具体的事実関係は本件全証拠によるも明らかとされないが、少くとも、本件土地についての控訴人に対する所有権移転登記は、加藤明を代理人として、控訴人及び被控訴人田中より所定の書類を整えて共同申請がなされたものと認めるのが相当である。

(D)  従つて控訴人と被控訴人田中との間に本件土地の所有名義を変更することにつき合意が存したものとうかがうことができるのであり、このことは前二に認定した本件土地についての売買契約の存在を推認させる有力な資料となるのである。以上(A) 乃至(D) の判断をしている。

二 原判決判断の違法

原判決の右(1) (2) (5) は異論がない。(3) については、「移転登記は控訴人及び被控訴人田中の代理人として司法書士加藤明から申請がなされ」とすべき外誤りでない。(4) は後記のような異論点を除きやはり誤りでない。(4) についての後記異論点の認定および(A) (B) (C) (D) の判断は違法である。

三 (A) の認定の違法

(一) 原判決は(A) において「本件二〇四二番の土地登記簿甲区九番の末尾の鈴木の押印は照合印であり、一〇番、一一番の末尾の鈴木の押印は誤記削の押印であると解せられる」と言つており、解せられるとは裁判所が心証を得た即ち確信を得たことの意味に外ならない。しかしこれは明白に違法の認定である。

本件土地登記簿たる甲第二号証(乙第一五号証の三)甲区九番、一〇番、一一番を通覧すると、いずれも、順位番号欄事項欄を通じてクロスする斜線で抹消され、そのクロス点に鈴木なる登記官の印が押されているのであつて、これが登記記載の削除抹消の押印であることは記載の体裁位置等よりして明白であり一点疑の余地なき事実である。従つてその他に尚削除抹消印(誤記削の印)を要する根拠はないのである。

(二) 原判決は(4) において

(イ) 甲区九番の鈴木印の位置が「右登記する」の文字に接しているのに同一〇番、一一番にあつては、「右登記する」との文字からかなりはなれた欄の左下隅であり

(ロ) 「誤記削」の文字の位置を対比すると甲区九番にあつては末行で欄の左上隅から中程付近にかけて記載されている「右登記する」とほぼ平行にその左欄にあるのに対し、同一〇番、一一番にあつては甲区九番とほぼ同位置の「右登記する」の文字の左下にあり(欄全体から見れば左下欄)押印に接していることがわかる

と言つている。そして右(イ)はその通りである。又(ロ)では「誤記削」の記載は、甲区九番にあつては「右登記する」とほぼ同じ高さの位置にあるのに、一〇番、一一番では「右登記する」の下方にあることを認定したものと思われる。そして甲区九番、一〇番、一一番を点検すると九番では「誤記削」は「右登記する」の若干左下(原審がほぼ平行というのは誤り)に記載され、一〇番、一一番では「誤記削」は九番に比し下部にあるのである。

原判決は、このように、九番の鈴木印の位置が「右登記する」の文字に接しているのに同一〇番、一一番にあつてはかなりはなれていること、および、誤記削の文字が九番では「右登記する」の文字とほぼ同じ高さにあるのに一〇番、一一番では下の方にあることの二点をあげ、これに一八八四番、一八八五番の一及び二の登記簿である乙第七号証、第一五号証の一、二の登記欄のうち鈴木の押印のある欄を参酌して、甲区九番の末尾印は照合印、一〇番、一一番の印は誤記削の印と認定しているのである。

しかしこの認定は違法である。右判決の二点のうち「右登記する」なる記載と鈴木の照合印との距離がはなれた例は甲第二号証甲区八番にもあり且不動産登記法は照合印の位置を規定しているわけではないので、この点は一〇番、一一番の左下方の印が照合印でなく誤記削の印であることの証拠にはならない。又一〇番、一一番の左下の印が、原判決の云うように誤記削の印とすれば、一〇番、一一番の登記には、この印と斜線クロス点の削除抹消印の外押印がないのであるから、照合印を欠くこととなり不適法な登記となつて、通常あり得べからざることを認めることとなるのである。原判決はこれらの点につき説明しない限り、理由不備経験則違反のものである。

次に、原判決は甲区一〇番、一一番の左下の印は「誤記削」の文字と接近しているから誤記削の印であると認めているが、

(ア) 一〇番、一一番につき左下に押印後誤記削の記入をすれば(本件ではこの可能性が大きい)近接しているからと云つて押印は誤記削の印とは云えない

(イ) 原判決の云う如く接近した印は接近事項の印と判断すれば、甲区九番につき左部の押印は誤記削と接近しているからその印となり原判決がこれを照合印としたことと論理が矛盾することとなる

これらの点は接近は本件において必しも原判決認定の材料とならないことを示すのである。

又原判決の挙げる一八八四番、一八八五番の一、二の登記簿中の鈴木印のある欄は参考となる点は何もない)

尚右甲区九番の記載を見れば登記官としては誤記削については抹消斜線のクロス点に押印することで足り誤記削の文字につき押印するとの考えがなかつたと考えられるのである。

以上記載(甲区八番についての記載以下)の有力な諸点を考えれば、甲区九番、一〇番、一一番とも左方の印はいずれも照合印と解するのが自然である。

以上によれば原判決(A) の認定は論理則経験則に違反した認定であり、且原判決認定に抵触する有力な諸点たる前記甲区八番の押印の位置以下に記載した諸点につき、これを無視し説明を欠いた理由不備経験則違反のものである。

四 (B) (C) (D) の認定の違法性

(B) 、(C) 、(D) の認定は、(A) の認定に基づいて原判決が順次推論認定したものであるから、(A) の認定が上記のごとく違法なる以上、当然違法となるものである。

尚特に(B) 、(C) の認定につき左の通り陳述する。

(い) 仮に、原判決の云う如く、甲区九番の登記が登記官の審査を経たうえ、一旦は所有権移転登記の記入が適法なものとして完了したものとすれば甲区一〇番、一一番の所有権移転登記もこれらの点につき九番の登記と特に異る登記形式その他の事情は認められない(受付番号さえ記入されている)から、やはり同様登記官の審査を経たうえ一旦は登記記入が適法なものとして完了したものと認めるべきである。

然るに甲区一〇番、一一番の登記内容が誤りであることは当事者間に争がないから、一〇番、一一番については、加藤司法書士が依頼されないのにミスにより登記申請をしたものと認めるべきである。

(ろ) 司法書士が登記のため依頼者より預つた重要書類たる権利証を紛失することは通常あり得べからざることである。

(は) 加藤司法書士が昭和三八年八月二一日登記所受付で本件訴訟に関係のある土地につき、当事者の依頼に基づき申請代理をしたのは、控訴人、被控訴人間の本件土地の甲区九番、一〇番、一一番の登記を除き

二〇四二番(本件土地)土地の

甲区七番、八番の各仮登記抹消登記

乙区七番の根抵当権抹消登記

乙区八番の仮登記抹消登記

一八八四番土地の

甲区一五番、一六番、一七番の所有権移転登記

一八八五番一土地の

甲区一二番、一三番の各仮登記抹消登記

甲区一四番、一五番の各所有権移転登記

乙区七番の抵当権抹消登記

乙区八番の仮登記抹消登記

一八八五番二土地の

甲区七番、八番の各仮登記抹消登記

甲区九番、一〇番の各所有権移転登記

乙区七番の根抵当権抹消登記

乙区八番の仮登記抹消登記

の多きに上り、しかも右各登記は一八八五番の二の甲区七番、一〇番の登記を除き、全部控訴人および被控訴人田中および同人が代表取締役たる柏石油株式会社が登記権利者或は登記義務者となつているので、登記申請の添付書類たる控訴人、被控訴人の印鑑証明、委任状、権利証等も著しく多数であり、しかも登記依頼者は多く口頭で司法書士に依頼の趣旨を陳述し、司法書士は依頼の趣旨を記憶するか或は精々メモするのが実情である。そして申請を受けた登記官も、同日に書類を審査し、申請の趣旨による登記をなすの外抹消登記にあつては登記事項の朱抹をも行うのである。従つてこのような登記の場合司法書士および登記官の双方に若干ミスを生ずることも考えられるところである。

(に) 甲第六号証の一一殊にその「即日補正不能」との記載

(ほ) 甲第一号証加藤司法書士の昭和三八年一一月一二日付自分が権利証を紛失したとの文書記載

以上(い)乃至(ほ)を綜合すれば加藤司法書士は、諸登記の依頼を受けるに当り、本件二〇四二番の土地につき、控訴人および被控訴人田中および三原不動産株式会社より甲区九番、一〇番、一一番のような登記の依頼を受けず、被控訴人田中より本件土地の権利証を受領しなかつたのに、このような登記の依頼があつたものと錯覚して申請書を作成し、添付書類として必要な権利証を添付せずして登記所に提出し、登記官もこの権利証の不存在を看過して甲区九番、一〇番、一一番の登記をなしたところ、登記官吏が登記後の点検により権利証の不存在を発見し、司法書士に権利証を提出する等即日補正すべきことを告知し、司法書士は探しても権利証が見付からなかつたので、同日乙第六号証の一一の登記取下書を登記所に提出し、登記官吏はこれに基づいて甲区九番の誤記削による抹消をした外同時に、九番の登記がなければあるべからざる一〇番、一一番の登記をも抹消したが、その時点およびその後暫くの間、司法書士は右のような登記の依頼を受け且権利証を被控訴人田中より受取りながら自己が紛失したものと思つていたと認めるのが相当であり、少くとも前示(い)乃至(ほ)によればこのような事実関係であることを疑うに十分であるから、原判決がこれら有力な(い)乃至(ほ)の諸点や、(い)乃至(ほ)に挙げた諸証拠(前記第一に記載した「合理的な疑」に該当)につき何等の説明をもなさずして甲区九番の登記のみが控訴人および被控訴人田中の意思による登記申請であるとの(B) (C) の認定をなしたのは違法と云わなければならない。

そして(D) の控訴人と被控訴人田中との間に本件土地について所有名義を変更することの合意があつたとの原審の認定は単に(C) の認定より推論したものであるから、(C) の認定が右の如く違法で判決の材料とすべからざるものである以上(D) の認定も不当であり、(D) を以て本件土地売買契約の存在を推認させる有力な資料となるとの原判決の説示も不当不法のものとなるのである。

第四原判決理由三の(三)について

一 原判決は、理由三の(三)(二一丁裏)において、本件売買の実質は代物弁済と変わるところはないから、本件土地の価格が、元本と利息制限法の範囲内で算出された利息の合計を上廻れば、その分を控訴人より被控訴人田中に返還すれば足ると判示している。これは被控訴人田中が既存の自己の控訴人に対する貸金債務(いかなる貸金債務か原判決では明確でない)の元利の給付に代えて本件土地の所有権を控訴人に給付する代物弁済(民法四八二条)を意味するものに外ならない。そしてこのような代物弁済を認むべき証拠も皆無である。

二 しかし一方、前記の如く原判決はその理由二(一一丁以下)において請求原因三の(五)の事実を認定している。請求原因三の(五)の事実は要するに、昭和三八年八月二日被控訴人田中は本件土地を代金一、七五〇万円で控訴人に売渡し(民法五五五条)、その代金支払は控訴人の同被控訴人に対する貸金の利息或は遅延損害金として控訴人が確たる根拠もなく計上した金七〇〇万円の債権と他の七〇〇万円および一、三五〇万円の債権合計二、七五〇万円より金一、〇〇〇万円の弁済を受けた残額債権金一、七五〇万円と相殺したと云うのである。

この売買の認定によれば、控訴人の貸金元本と利息制限法の範囲内で算出された利息の合計額が右残額と称する金一、七五〇万円を上廻れば、相殺が不当となり、その超過分を控訴人より被控訴人に返還すべきこととなるのであつて右合計額が売買土地の価格を上廻る額によつて返還額が決まるとの問題は生じないのである。

三 故に右代物弁済と売買とは全く異る具体的法律関係であるのに、本件一個の法律関係紛争につき、原審は、或は右のような代物弁済なる法律関係と認定し又或は右のような売買なる法律関係と認定しているのであつて、相矛盾し、論理則に反し理由齟齬の違法判決であつてこの点は主文に影響を及ぼすのであるから破毀せられるべきである。

第五被控訴人千葉商事株式会社について

以上述べた通り被控訴人田中に所有権移転登記を命じた原判決部分が違法で被控訴人田中にかかる移転登記を命ずべからざるものである以上、これを基礎としてなされた被控訴人千葉商事株式会社に対する原判決部分も、当然取消されるべきである。

以上

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